遠海事件 佐藤誠はなぜ首を切断したのか?

遠海事件

遠海事件

のっけから余談だが、ノンフィクション風の装丁にしたためか、三省堂書店有楽町店では見事にノンフィクションの棚に置かれていた(ミステリ棚には一冊もなかった)。狙いは成功したと見るべきか、失敗したと見るべきか……*1
著者デビュー作『リロ・グラ・シスタ』(光文社カッパ・ノベルス)に続く第二長編。犯罪ノンフィクションのスタイルに、作者の文章力はまだ追いついていない。若い作者にありがちな、他者に対する揶揄・皮肉を作中にいくつか織り込んでいる点も目障りだった。だがその一方、サブタイトルで表明されている「佐藤誠はなぜ首を切断したのか?」という一点のみにミステリとしての興味を絞り込んでいるところは大いに評価する。他の謎に対する興味をばっさり斬り捨てているかのような姿勢は、一部のミステリ読みの不満をもたらすかも知れないけれど*2、謎の一点勝負というのは度胸がなければなかなかできることではない。まして、そうしたことで(詳述は避けるが)本書は大きな成果をあげているのだ。なかなか見事なミステリなのである。結末の一頁で静かな意外性を演出し、仄かな詩情を残すところも悪くない。文章力、そして読んでいる間は正直退屈だった*3という弱点は見逃しがたく、したがって傑作とは言いかねるが、読み終えて意外なほど好感を覚えた。
思えば『リロ・グラ・シスタ』*4も、他のことを振り捨ててでも、とにかく読者を騙そうとしているミステリだった。この『遠海事件』の刊行で、詠坂雄二というミステリ作家の評価の方向性がある程度は明確になったように思う。第三長編を楽しみにしたい。

*1:いや、この場合は書店員がよろしくないと思いますけどね、当然のことながら。

*2:たとえば、密室のような謎も提出されはするのだが、その解答はきわめて些細なものだ

*3:展開や描写が平板なのだ。この点は『リロ・グラ・シスタ』のほうが優れている。

*4:そういえば、『リロ・グラ・シスタ』の登場人物が『遠海事件』にも登場するのだが、果たしてそのような遊びがこの作品に相応しかったかどうかはさておいて、この人物を登場させるとは、この作者もひとが悪いな、と思った。このようなひとの悪さは嫌いではない。

さよなら渓谷

さよなら渓谷

さよなら渓谷

話題作『悪人』を未読のまま同傾向の最新作を読んだ。秀作と言ってもかまわないと思う、のだが――。
本書においてはふたつの事件が描かれ、どちらも明らかに実際に起きた犯罪をモデルにしている。片方の事件はほぼ導入部的な意味しか与えられておらず、深みをもって描かれるわけではないが、メインとなるもうひとつの事件をこの構成に沿って描くためにはこれくらいのセンセーショナルな事件が導入部に必要だと確かに納得できるので、そのこと自体を批判するつもりはない。ただ、ひとつだけでも生々しさ満点なのに、ある意味悪目立ちしていた犯罪をふたつ並べられてしまうと、さすがに俗っぽい――と感じてしまう。本書を秀作だと思う一方、好感を抱きにくいのはこの辺りの感情的な理由による。ただしそれは人それぞれの好みによるところも大きいだろう。
本書はミステリとして描かれた作品ではないが、意外性は盛り込まれている。その意外性はテーマと連動していて、テーマを効果的に描くために意外性がきわめて巧みに利用されている。加害者と被害者の犯罪後の足跡、心理的関係性、償いの意味、人間の感情の不可思議さを描く筆も危なげなく、全編を貫く微妙に不快な雰囲気など文句なしで、吉田修一芥川賞受賞の頃よりもさらに腕を上げたなあ、と感心した。ただひとつだけ、終盤になって「愛」という単語が登場するのだが、本書において「愛」という言葉は安易に使用されるべきではなかったのではないか。そこで話がやはり俗っぽい色を帯びてしまったように思い、残念に感じた。

あぽやん

あぽやん

あぽやん

鮮やかなビルドゥングス・ロマン。おそらく今年を代表する快作のひとつになると思う。
『八月のマルクス』(講談社文庫)で江戸川乱歩賞を受賞した作家の、初の非ミステリ*1。成田空港で働く青年を主人公に据えた成長小説で、序盤は正直そんなに印象的とは感じられなかったことは確か。主人公も取り立てて魅力的とは言い難い。しかしこの作品、三話目くらいからいきなり盛り上がってくるのだ。空港に勤務する主人公の同僚たちが出揃い、主人公は数々の体験の中で自らの職業に徐々に意欲を見せ始める。それに従い、成田空港という舞台も活き活きと輝きを増し始めるのだ。あとはラストまで一気呵成に読み切った。
新野剛志の作品は、筆力は認めるもののミステリとしての弱さ(不自然な点を払拭できない)と不必要な長さがどうしても気になったものだが、ミステリから離れ連作形式を採用した結果*2、これまでのキャリアの中での最高の作品を書き上げたと思う。たとえば乃南アサの『ボクの町』(新潮文庫)のような作品がお好きな方には(あれほど感動を煽るようには描かれていないが)断然のお勧め。

*1:とはいえ本書では連作形式が採用されており、その中の一話「ねずみと探偵」はミステリとしても楽しめる。

*2:作品集は現在のところ『どしゃ降りでダンス』(『クラムジー・カンパニー』改題、講談社文庫)しか刊行されていないが、もともと短編のほうが巧い作家だったと思う。

プロトコル

プロトコル

プロトコル

それにしても厄介な作家だなあ。
帯には恋愛小説と書いてあるが、それはミスリードと断言できる。ただし、それでは『プロトコル』はいったいどんな小説なのだと聞かれると、さてどう説明したら良いのだろう。某企業で働く女性が水面下での社内抗争に知らないうちに利用され、そのせいで失脚させられた男に恨まれ罠を仕掛けられる話――と内容の説明は簡単にできるのだが、しかしこれが企業小説かと言われると、やっぱり違うとしか言いようがない。ミステリっぽいところもないわけではないが、ミステリとも言い難い。冒頭で恋愛小説であることを否定はしたが、恋愛もわずかながら描かれてはいるのだ。なんとも厄介ではないか。敢えて言えばヒロイン小説なのかなあ。違うような気がするなあ。
なんとも捉えどころのない面白さに包まれた長編で、比較的好感を持って読み終えたが、それにしてもこの作家の場合、ジャンル分け不能の作風は、たとえば桜庭一樹古川日出男のような作家とは異なり、自らの首を締める結果になっているような気がする。もっとストーリーに強引なまでの吸引力があれば良いのだが……。

隠蔽捜査

隠蔽捜査

隠蔽捜査

あまりに普通でびっくりした。
断っておくが、面白かったのだ。だが、これがなぜ今野敏のブレイク作品になったのか、よくわからない。やはり警察官僚が徹頭徹尾正義を貫くという構造が日本人受けしたのだろうか。正直、本書より面白い作品を今野敏はこれまで最低五冊は上梓していると思うので(とくに最高傑作のひとつ『ビート』は刊行時あんなに話題にならなかったのに)、個人的には納得がいかない。もうひとつ、本書がミステリではなかったことにも驚いた。
読んでいる最中の爽快感、というか快感はかなりのものだ。しかし手放しでこの作品を褒める気になれない理由は、主人公たる警察官僚が「変人」であること、この一点に尽きる。変人だからこそ、己の正義を貫く際、普通の人間と比べて精神的なハードルはかなり低くなる。勿論、作者はこの小説を書く際にあたって、如何にもそういう人間を創造して主人公に据えたのだろう。だが、きわめて普通の人間が腐敗したシステムに、怯えたり迷ったり保身に走りたくなったりしながら、それでもそのシステムの瓦解に挑もうとする小説のほうが断然素晴らしいと思う。『隠蔽捜査』はそういう小説ではないのだ。主人公の苦悩はほとんど感じられない。いま読みかけの続編『果断』(新潮社)では、もはや主人公が水戸黄門化してしまっている。印籠(権威)を持った主人公が悪を裁くのだ、それはたしかに一般受けするだろう*1。こんなことを書いている自分だって、実はこの手の話はかなり好きだ。しかし素晴らしいとは思わないのである。
というわけで、抜群に面白かったものの、ややがっかりした。

*1:考えてみれば内田康夫の名探偵、浅見光彦もそういうキャラクターですよね。

嘘

ここまで鬱々とした話にする必要はなかったのではないか。
帯の「誰が嘘をついているのか?(略)予測不可能、胸に迫る驚愕のラスト!」「ストーリーの鬼才、永瀬隼介版『スタンド・バイ・ミー』!」という文言に興味をひかれて読んでみた。たしかにそういう方向性を狙った内容ではあったのだが、残念ながら巧くいっているとは言い難い。別な方向に仕立て直せばそれなりに面白い話になったような気もするのだが、とにかく作者の狙いが悲劇にしか向いていないので如何せん救いが無いのだ。しかもこの作品に仕掛けられた意外性は案外容易に見抜くことができるので、鬱々とラストまで読み進め、予想どおり暗澹としてしまった。登場人物のほとんどすべてが既に死んでいるという趣向はそれなりに興味深いので、困難を承知で言うが、この趣向は悲劇よりコメディで扱ってみてもらいたかったところ。
なお、この作者の作品ははじめて読んだが、予想より俗っぽい印象だったのでやや驚いた。

新・本格推理08 消えた殺人者

新・本格推理〈08〉消えた殺人者 (光文社文庫)

新・本格推理〈08〉消えた殺人者 (光文社文庫)

たまに面白いものが収録されているので毎年拾い読みしているアマチュア公募アンソロジー。今年は九編収録されている。
好意を持ったのは二編。堀燐太郎「ウェルメイド・オキュパイド」は文章があまりに都筑道夫めいていてびっくりしたが(文章が他人からの借り物というのはまずいと思うが)、おもちゃの博学と、それをミステリに結びつける手腕が楽しい。真相に納得できたとは言い難くとも、久々にネヴィル・スティードの『ブリキの自動車』(ハヤカワ・ミステリ文庫)を思い出したりして、楽しい気分にさせてくれた。園田修一郎「シュレーディンガーの雪密室」は、強引さは目立つが意欲的な力作。SF的設定を導入し、ネタを大盤振る舞いしてみせた気前の良さを買うが、但しこの「犯行」の実現可能性はいったいどれくらいあるのだろうか、という点は大いに気になる(この人の作品は毎回どこかに見逃せない弱点がある)。
他の作品についても触れておくと、泉水堯「天空からの槍」はストーリーの丁寧な進行に好感は抱いたが、これは本格ミステリというよりトリック(意外性はほとんどない)を彩りに添えた異世界ファンタジーの習作だろう。探偵役の造形も魅力に乏しい。優騎洸「論理の犠牲者」は人物の性格設定が極端すぎて騒々しく、また「ベルウッドはロボットであり、感情は、無い」という文章が掲載されているのと同じ見開きのページに「ベルウッドは躊躇した」と書いてあるなど凡ミスも目立ち、繊細な配慮が根本的に欠けている。真相に辿り着くまでの過程も雑然としているのが難。獏野行進「ミカエルの心臓」は道具立てはきわめて楽しいが、何をどこまで面白可笑しく書き立てるか判らないフリーライター修道院内に招き入れるばかりか謎解きの協力までしてみせる修道士たちの行動は明らかに変。そもそも修道院にどうしてこんな仕掛けが必要だったのだろうか。「賢者セント・メーテルの敗北」はミステリとしての特徴が薄いせいもあってか、下半身絡みの発想ばかりが目につく。探偵役をつとめる少女(12歳くらい)が「妖艶」と形容されているのを見て失笑してしまった。藤崎秋平「コンポジット・ボム」は、品のよくない残虐趣味的表現以上に会話文の稚拙さがどうにも気になる。ミステリとしては「それ以外考えられないだろう」という結末が待っていて、どうせなら赤川次郎の『プロメテウスの乙女』くらいやってほしかった。(この項加筆予定)