紙魚家崩壊

紙魚家崩壊 九つの謎

紙魚家崩壊 九つの謎

九編中六編は雑誌で読んだことがあるので、買うつもりは無かったのだが、書店でページをぱらぱらと捲っていたら俄然購入意欲が湧いた。懐かしさに駆られたこともあるが、これは素晴らしい短編集だと思う。
既読だったのは「溶けていく」「紙魚家崩壊」「死と密室」「白い朝」「おにぎり、ぎりぎり」「蝶」の六編。狂気の世界に入り込んでゆく女性を描いた巻頭の「溶けていく」も印象的な短編だったが(この短編集にも収められている「俺の席」や、単行本未収録の「くらげ」など、北村薫はこういった淡いタッチの恐怖短編も手掛けている)、今回書籍の形で読み返して最も感銘を受けたのは「白い朝」だった。これはまさに、珠玉という形容が相応しい。
「白い朝」は掌編ではあるが、これほどまでに謎解きと《時》の流れとが結びついている作品はちょっと記憶に無い。謎が解かれることによって、読者は《時》の流れを鮮明に認識する。そのとき読者の胸に去来するのは、過ぎ去った《時》への切ない思いと、これから続く《時》への優しい希望だろう。一見、気軽に綴られているように思われた前半も、構成が判ってみればまったく無駄というものが無い。さながら端整な工芸品だ。
他には「紙魚家崩壊」が、北村薫本格ミステリ観を如実に窺わせて興味深い。これだけで評論原稿が一本書けるだろう。――それはともかく、シリーズものを除く北村薫の作品集では本書がベストだろうな、と思わせた。たぶん、現在の北村薫には、本書に収録されている初期短編のような作品はもう書けないだろう。誰の上にも《時》は流れているのだ。