《群像》2006年7月号

巻頭に掲載された生垣真太郎の長編「キメラ」を読んでみた。落書き(グラフィティ)アーティストの『キメラ』とは何者か?というミステリ風の謎は用意されているが、結末において明確な真相が提出されるわけではなく、こういう体裁を取ったのは失敗だったように思われる。結局どう解釈しても矛盾が発生するような結末になっていて、8月号の《群像》でも松浦寿輝中村文則らがこの長編のラストの意図を読み解こうとしているが、あちらも結局明確な回答を見つけられないまま終わっている*1
……しかし、失敗した作品だと思いながらも、正直面白かった。頭では、パーツを収束させないラストは失敗だったという判断を下さざるを得ないのだが、感覚では、だからこそこの話はこの作者のデビュー作『フレームアウト』(講談社ノベルズ)よりはるかに面白くなったのではないか、と感じるのだ。読み終えたあとは清涼感にも似た余韻が残った。

*1:ひとつ身も蓋も無い解釈をすることはできるが、個人的に気に入った作品であるだけに、そう考えたくはない。