吉原手引草

吉原手引草

吉原手引草

直木賞受賞作。
授賞に値する作品だと思うが、良くも悪くも堂々とした書きっぷりで、その書きっぷりが選考の席ではどう判断されるのかと思っていた*1。この作品、タイトルに「手引草」と謳っていることからも判るように、一から十まで吉原のことを懇切丁寧に解説した、吉原のガイドブックなのだ。失踪した花魁を巡り十六人の関係者にインタビューを次々行うという構成の妙*2でさすがに読ませるものの(但しこの構成も、読み物としての面白さを考えてのことではなく、吉原関係者のそれぞれの役割を簡便に記すために必要とされたものだろう)、とりわけ前半では吉原のシステムやエピソードなど既知の情報が陸続と書き連ねられ、「手引」ということを了承していないとオリジナリティの面で首を傾げてしまいそうになる。だから「良くも悪くも堂々とした」書きっぷりだと思うのだ。
 ただ、現在の読者に向けて吉原を真正面から描こうとすれば、以前よりも膨大な量の説明が必要になる。昔は小説や落語、講談、時代劇などで共有されていた前提が、現在の読者には期待できない。ならば、吉原はもう小説の舞台にはできないのか。あるいは小説的な美意識を損ねてまで、愚直な説明の労を覚悟しなければならないか。――最近の時代小説作家なら誰でも直面しているだろうこの難問を前にして、松井今朝子は「ならば一から吉原を説明するための小説を書こう」と考えたのではないか。ミステリとして見るなら本書が凡作であることは否定できないし*3、失踪した花魁に艶やかな華が欠けている*4ことも大いに不満。――しかし、手引仕立ての吉原小説としてなら、本書は充分に並以上だろう。
以上の理由により、本書は高く評価されてもまったく不思議ではない作品だと思うが、個人的には松井今朝子なら『家、家にあらず』(集英社)や角川春樹事務所の捕物帳シリーズのほうに数段愛着を感じる。

*1:今頃になって感想を書いているが、読んだのは刊行された直後。

*2:勿論これは有吉佐和子『悪女について』(新潮文庫)、石沢栄太郎『21人の視点』(光文社文庫)、宮部みゆき『理由』(朝日文庫)などと同じ構成。時代小説でも近年これと同じ構成を採用した作品を何か読んだような記憶があるが、いまはちょっと思い出せない。

*3:勿論それが主眼ではない。そうであるわけがない。

*4:記号としての「絶世の美女」にしかなっていない。花魁とはまず第一に娼婦なのである。どの女よりも男に性欲を覚えさせてこそ女人国の主になることができるのだ(大名を相手取っても引けをとらない教養品格が求められるのはその次である)。女性作家が吉原を書くと、ほとんどの場合この点が抜け落ちてしまう。