さよなら渓谷

さよなら渓谷

さよなら渓谷

話題作『悪人』を未読のまま同傾向の最新作を読んだ。秀作と言ってもかまわないと思う、のだが――。
本書においてはふたつの事件が描かれ、どちらも明らかに実際に起きた犯罪をモデルにしている。片方の事件はほぼ導入部的な意味しか与えられておらず、深みをもって描かれるわけではないが、メインとなるもうひとつの事件をこの構成に沿って描くためにはこれくらいのセンセーショナルな事件が導入部に必要だと確かに納得できるので、そのこと自体を批判するつもりはない。ただ、ひとつだけでも生々しさ満点なのに、ある意味悪目立ちしていた犯罪をふたつ並べられてしまうと、さすがに俗っぽい――と感じてしまう。本書を秀作だと思う一方、好感を抱きにくいのはこの辺りの感情的な理由による。ただしそれは人それぞれの好みによるところも大きいだろう。
本書はミステリとして描かれた作品ではないが、意外性は盛り込まれている。その意外性はテーマと連動していて、テーマを効果的に描くために意外性がきわめて巧みに利用されている。加害者と被害者の犯罪後の足跡、心理的関係性、償いの意味、人間の感情の不可思議さを描く筆も危なげなく、全編を貫く微妙に不快な雰囲気など文句なしで、吉田修一芥川賞受賞の頃よりもさらに腕を上げたなあ、と感心した。ただひとつだけ、終盤になって「愛」という単語が登場するのだが、本書において「愛」という言葉は安易に使用されるべきではなかったのではないか。そこで話がやはり俗っぽい色を帯びてしまったように思い、残念に感じた。