赤石沢教室の実験

赤石沢教室の実験 (Style‐F)

赤石沢教室の実験 (Style‐F)

350枚くらいで丁度良いようなネタを、その二倍以上(?)の長さを使って書き上げてしまった作品。頑張ってほしい書き手ではあるが、本書に対する個人的な評価は低い。以下、かなり結末に踏み込みます。
乱暴にまとめてしまうと、この作品のミステリとしての最大のネタは「なぜ主人公の考えたとおりに殺人が起きるのか?」という謎とその解決にあるわけだが、それに対するある意味大胆な解答(自分でべらべら喋ってた)は矢口敦子の長編に先例があるため、正直かなり早い段階から真相には見当がついた。田代裕彦のミステリの弱点のひとつとして、「真相を隠すための煙幕を張る努力が薄い」ということが挙げられるが、この作品もまた真相に気がついてしまえばそれ以外の可能性はほぼ封印されてしまうのである(『キリサキ』も『シナオシ』も、結局真相は可能性の順列組み合わせで、作者がその中から恣意的に選んだものが解答という構成になっていた)。
で、真相に気がついたあとが最大の問題で、いくら読んでも終わらないのである。ふと気づいて字数を確認してみたら、この長編、おそらく原稿用紙換算でゆうに800枚を超える長さなのだ。正直、それだけの長さを使って書く必要があったとは思えない。深刻なストーリーである割には如何にもライトノベル的なキャラクター記述を省けていないところも(単行本で刊行された作品としては)明らかにマイナスだし、要所要所で語られる死への狂った考察も、申し訳ないが浅薄だと思う。田代裕彦が一般文芸路線にシフトするのであれば、ライトノベル編集部での指導にはもう限界が来ているのではなかろうか。