マリアの月

マリアの月

マリアの月

読み捨て娯楽長編なら充分な出来だが、五百ページ弱に亙る長大な分量と、作者がどこまで本気だったのかが気にかかる。
過去の殺人を暴露されないため、知的障害者更正施設の理事長とタレント的人気を誇る女性市長(世間には隠しているが二人は元夫婦)、そしてこの二人の息子の超美形青年(彼の初登場シーンに笑ってしまった)が主人公たちを襲撃する話。読んでいるとそれなりにスケールが大きい話のようにも思えるが、よく考えてみれば実情は主な悪役はこの三人家族というところに微妙なものを感じる。そして女性市長とその息子の発言、行動、服装などがあまりに劇画チック*1で、それが悪いと言いたいわけではないけれど、なんだか笑いがこみ上げてきてしまうのだ。
悪役に比べると主人公側のほうは丁寧に描けていて、フラスコ画の製作過程やハイパーグラフィアのことなどもよく調べていると思う。ただ、やや力が入り過ぎで、何もそこまで感極まった表現にしなくても、という箇所が目につく。そして、こちらのパートを作者が情感たっぷりに描こうとすればするほど、大雑把で劇画的な悪役パートとのギャップに読んでいるこちらが戸惑ってしまう、という弊害も生んでいるのだ。印象をどちらかに統一すれば、もっとスムーズに楽しめたのに。もっとも統一しようとしたら、まったく違う話になっていたことだろうが。
貶すようなことばかり書いてしまったが、最後の最後で繰り広げられる追いかけっこのクレイジーな迫力と、幕引きの二ページは素晴らしい。プロットは粗い*2けれど、しかし緻密な作風には進まないほうが良い書き手だと思うので、これからも娯楽作品を伸び伸び書いていってほしいと思う。

*1:大沢在昌がむかしこんな感じの登場人物を描いていましたね、『東京騎士団』とか『六本木聖者伝説』とかで。『黄龍の耳』なんてのもありました。いま読んだら爆笑してしまいそう。

*2:たとえば、悪役の家族関係および彼らの裏事情を把握している記者も登場するのだが、彼に調べられることならなぜタレント的人気を持つ女性市長の過去を誰もスクープしないのか、と不思議に感じられてしまう。殺人兵器(的人間)に関しても、ある意外性を仕掛けているような気がするのだが、記述の問題で不発に終わっている。