二つの月の記憶

二つの月の記憶

二つの月の記憶

天性の掌編作家だった名女優の、最後の贈り物。
彼女の作品集が角川文庫から刊行されたとき(『ラストシーン』だったと思う)、解説を執筆したのが色川武大。この稀代の作家が解説を務めるほど、岸田今日子には凛とした小説的才能があった。本書は、やはり稀代の編集者だった宇山秀雄(日出臣)が彼女の原稿を熱望した結果、雑誌《メフィスト》で連続掲載された掌編七編を収めた遺作集となる。
最後まで読んで、読み終えてしまった、と思った。もう岸田今日子の新作を読むことは叶わないのだ。濃密なエロスと品の良いユーモア、そして無邪気な毒と知性が混じり合って不思議な感覚を齎す、残酷童話にも似た岸田今日子の作品は、皆川博子小泉喜美子、あるいは森茉莉倉橋由美子の掌編を愛するような読者には、恰好の御馳走になるはずだと思う。今回もまた然り。時制や視点の約束事を軽々と飛び越えながら、岸田今日子の世界が典雅に広げられている。なんだかよく判らないことが異様な迫力を生んでいる「赤い帽子」、まさに奔放な傑作「P夫人の冒険」、お茶目な意外性にくすりとさせられる「オートバイ」。作中に自分自身を登場させ、まるでエッセイのように始めながら、いつの間にか毒のある不思議な世界へと読者を引きずり込むという得意業を発揮した「K村やすらぎの里」「引き裂かれて」にも、はっとさせられた。前者はタイトルからは想像もつかないような展開を辿るし、おそらく遺作である後者は、最後の最後でこれを描いたのか、と愕然とさせられた*1。唯一の長編『もうひとりのわたし』を読み返したくなってしまったではないか。
もう新作を読めない寂しさと、素晴らしいものを読ませてもらった満足感に浸りつつ、本を閉じた。

*1:蛇足だが、作中の「東欧で爆発的な人気を呼んだ」「A・K原作のあの映画」とは、もちろん岸田が主演した安部公房の『砂の女』(勅使河原宏監督)のことだろう。