もう誘拐なんてしない

もう誘拐なんてしない

もう誘拐なんてしない

愉快愉快。
脱力系ギャグが鏤められた長編ミステリ。デビュー後の数作はギャグを無理に挟み込んでいるような感があって若干読みにくかったのだが、本書あたりでは文章の流れを阻害することなく滑らかにギャグを飛ばす作法が徐々に完成されつつあって頼もしい。もうひとつ、今回はじめて東川はクライム・コメディの方面へと足を踏み入れていて、これがなかなか堂に入っている。もしかするといずれはトニー・ケンリックの高みを目指せる書き手になるかも知れない――という意味でも、頼もしい書き手に成長したものだ。キャラクターのほぼ全員に好感が持てるという点も素晴らしい。
本書は勿論本格ミステリとしても楽しめる作品にはなっていて、東川のことを知らずにこの作品を手に取った読者なら、終盤で真相が明かされるにおよんで「(前半がああいう雰囲気なのに)まさかこんなに凝った作品だったとは!」とびっくりすること請け合いだろう。よく考えられた、丁寧な構成のミステリなのだ。ただ、犯人候補があまりに少ないために真相の意外性はどうしても弱くなってしまうし、そもそも主人公が簡単に狂言誘拐に踏み出そうとしたり、真犯人の動機が「人を殺すほどだったのか?」と思えるものだったりと、心理の面においてちょっとした疑問が散見されることも否定はできない。クライム・コメディとして評価するなら、こういう疑問はある程度はお約束として笑って流せるものなので、あまりうるさいことは言いたくないのだけれど。
なお個人的には、多島斗志之の某作で使用されていたあるアイデアを、犯人が仕掛けたトリックとしては使用せず、逆に犯人のトリックを瓦解させる端緒として使いこなしている点に大いに感心した。アイデアの組み合わせ方、上手だなあ。