月のころはさらなり

月のころはさらなり

月のころはさらなり

毎回ひとりだけの選考委員が受賞作を決める、新潮エンターテインメント大賞の第三回受賞作。
今回の選考委員は宮部みゆき*1で、「私はほぼ満点をつけました」との激賞ぶりだが、如何にも宮部みゆきが好みそうな雰囲気、キャラ設定の話だと感じた。それはそれとして、とにかく前半の曖昧さが頁を捲る速度を鈍らせる。100ページまで読んでもこの作品がいったい何を描きたいのか、テーマやメインストーリーがまったく見えてこないのに苛々させられた。これは構成が判ってみると当然のことで、後半は「実は裏にはこういう事情があり、こういう話だったのです」という展開になるのだ。最近のミステリにありがちな構成だが、そのために前半の面白さを粗略にしているという点もまた、最近のミステリと同様との印象を受けた(ついでに言うと、安直なファンタジーテイストの導入も)。本書をミステリとして見做すべきかどうかは難しいところで、個人的にはミステリとは言いにくい作品だと思うが、だとしたら何なのかと聞かれると困ってしまう、そういう小説の芯の決まらなさ加減が、この作品ではかなりマイナスに傾いたと思う。
ただ、中盤に用意された魂翔けの場面の美しさは印象的だったし、後半で徐々に明らかにされてゆく裏事情を描く筆にはそれなりの深みが感じられた。書ける人だとは思うので、次回は骨太のストーリーを用意してもらいたいと思う。

*1:なお、〈小説新潮〉に掲載された選評で、宮部みゆきはこの作品が三人称で書かれていることを高く評価し、「最近の若い作家の小洒落た作品なら一人称で書きそうなところを三人称で書いたところが素晴らしい云々」というような趣旨の文章を綴っていたが、これは構造から考えると当たり前のことで、これを一人称で書いていたら「ミステリにおける信用できない語り手(語り手は誰に向かって嘘をついているのか/誰に対して正直ではないのか)」の問題に引っ掛かってしまう。主人公の悟は嘘をついているわけではないが、意図的に語り落としている点はあるのだ。ただ、その反面、三人称で執筆されたからこそ、170ページで悟が口にする決意めいた言葉がどこか空々しく響いてしまった点は残念に思う。