清談 佛々堂先生

清談 佛々堂先生 (講談社文庫)

清談 佛々堂先生 (講談社文庫)

これは相当面白かった。
簡単に言えば、正体も実年齢もよく判らないが関西きっての数奇者である佛々堂先生が、これと目をかけた才能を開花させるべく彼または彼女に密かに金と労力を注ぎ込む連作。帯には「和のトリビア満載のミステリー」を書いてあり、たしかにそう読めないこともないけれど、この作品までミステリとして読むことはないと思う。
さて、連作第一話「八百比丘尼」を読み終えたときは、正直それほどの話とも思えなかったのだ。美術を描いた傑作小説は数多く、秀作と讃えるには少しばかり深みや工夫に書けるところがあり、若干物足りない。……ところが第二話「雛辻占」を読み始めて評価はがらりと変わった。冒頭、蛤の形をした辻占菓子の店を細々と営む女性のもとに佛々堂先生が現れて、大口の注文を押しつけて去ってゆく。続いて、真珠店の抽選のからくりを佛々堂先生が講釈する。さらに続いて、伸び悩む絵唐津の女性作家が登場する。――いったいどんなストーリーが描かれるのか?という興味は勿論として、ネタの選び方が多岐に亙っている上、それぞれが実に活き活きと描かれていることに驚かされたのだ。この作品から、佛々堂先生の人柄もはっきり伝わってくるようになる。あとは一気読みだった。
四編収録されているうち、ベストは第三話の「遠あかり」。佛々堂先生が目論んでいるある趣向のスケールたるや(その目的に比して)凄まじく、大袈裟なことを承知で言うが、これはほとんど奇想小説の域にまで達しているように思われた。こういう壮大なスケールの話がしっかりと描かれているからこそ、主人公たる佛々堂先生が本物の数奇者として典雅に目の前に立ち現れてくるのだ。前述のようにネタの選び方も幅広く、素晴らしい連作と言えよう。佛々堂先生が複数の人間国宝を顎でこき使えるほどの重鎮、という大風呂敷の広げぶりも楽しい。それにしても、『龍の契り』『鷲の驕り』の作家がこんな作品を書くまでに成長していたとは!*1

*1:『龍の契り』も『鷲の驕り』も面白かったけれど、若書きならではの良さと粗さがある作品だったので。