完全恋愛

完全恋愛

完全恋愛

老大家の、ここまでの道程に思いを馳せる。
別名義で発表された作品だが、作者の正体は明らかなので、以下の文章でも正体を隠すことなく感想を書きたい。さて、本書は単独でも傑作と言って良い出来栄えだと思うが、それ以上に辻真先の総決算的作品である。20世紀末、『本格・結婚殺人事件』(朝日ソノラマ)においてポテトとスーパーのシリーズに決着をつけた辻真先は、硬軟取り混ぜたさまざまなノンシリーズの長編を発表し始める。その中で最も印象的だったのが、内容枚数ともに充実した、辻作品の最高峰と言っても過言ではない『あじあ号、吼えろ!』『進駐軍の命により』『沖縄軽便鉄道は死せず』(すべて徳間書店)の戦争鉄道冒険本格推理三部作だった。本書『完全恋愛』は、それらと同等の充実ぶりを示した大力作である。
今回は『急行エトロフ殺人事件』(講談社ノベルス)以降連綿と書き継がれてきた辻の戦争本格ミステリの総決算的作品に仕上がっているが、とりわけ『ピーター・パンの殺人』(大和書房)および『悪魔は天使である』(東京創元社)ラインの決着点と言えよう。何十年もの時の流れのあいだにいくつかの殺人事件を挟み込む雄大な構造は『ピーター・パンの殺人』に*1、戦時下における芸術家*2の苦しみと、若者たちの恋模様という構図は『悪魔は天使である』に直結する。だが『完全恋愛』は、ミステリ色が比較的淡かった(しかしそれ以上に小説として素晴らしかった)『悪魔は天使である』をさらに本格ミステリに近づけ、『ピーター・パンの殺人』とは異なるミステリ的な仕掛けを打ち出した作品なのだ。やや書き急いでいる感がないわけではないが、凶器消失、巨大な密室、鉄壁のアリバイという魅力的な謎を三つ並べ(とくにケレンに満ちた密室状況のスケールの大きさが素晴らしい)、それらに巧みに解決をつけつつ最終的には一本の小説として読ませる力量はさすが大ベテラン。ミステリ的には、アリバイ崩しに関連するある趣向に驚かされた。なんと、そんなところでそんなふうに時代背景を絡めるなんて! 結末において姿を見せる、ある「語られざる人」の趣向も見事なものだ。
昨今、力作が出てもほとんど話題にならない辻作品だけに、今回こそは話題になってもらいたいと思う。そしてこの小説を面白いと思った方には、この『完全恋愛』以前に見逃された傑作力作をぜひ手にとってもらいたいと思う。『完全恋愛』は決して、突如表れた「辻真先の新境地」ではないのだ。

*1:ちなみに『完全恋愛』に登場する大関警部は辻の隠れ(?)シリーズ・キャラクターで、おそらく彼の初登場作品は『ピーター・パンの殺人』ではなかったか。

*2:この作品においては探偵小説家。