秀頼、西へ

秀頼、西へ (光文社時代小説文庫)

秀頼、西へ (光文社時代小説文庫)

欲張りすぎの感もあるが、力作であることに間違いはない。
『太閤暗殺』(現・光文社文庫)で日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞して以来、時代小説のフィールドで独自の活動を続ける作家の、受賞後第一長編。とにかく力の入った大作で、欲張りすぎてあれこれ詰め込みすぎた感もないわけではないが、面白かった。大坂夏の陣に敗戦した豊臣秀頼が庇護を求めて薩摩へ向かう話で、大坂城落城までが前半、秀頼一行が薩摩へ向かってからが後半。前半終了の段階で意外性がひとつ披露され、後半は追いつ追われつのサスペンスで読ませるが、メインとなるのは権謀術数の面白さで、全編を通し家康と島津家の謀略合戦が繰り広げられ、両者の間者が跋扈する。
岡田秀文はつくづく特異な書き手だと思うのだが、彼の長編では基本的に冷ややかな謀略を描くことがメインとされ、人情の機微や「戦乱の快男児」の肖像などは一切描かれない。真正面からミステリとして評価するにはもう少し凝った仕掛けを求めたくなってしまうものの、普通の時代小説よりは明らかにプロットが入り組んでおり、時代ミステリの書き手としてかなり興味深い存在なのだ。本作では時代小説としての完成度も同時に求めたのか、策謀をメインとした作品として考えるなら不要と思われる場面がかなり挟み込まれているが、時代小説としての完成度を求めるなら不満な点も散見される(たとえば、千姫はもう少し描いておく必要があっただろう)。虻蜂取らずの一歩手前という感もあるが、新鋭なりの気負いが良い意味で全編を包んでいるため、読み応えがあるのだ。この作家の現時点での最高作は『最後の間者』(ハルキ文庫)だと思うが、本作も上位に位置する力作だろう。これからますますの成長を期待したい。

エコール・ド・パリ殺人事件

エコール・ド・パリ殺人事件 レザルティスト・モウディ (講談社ノベルス)

エコール・ド・パリ殺人事件 レザルティスト・モウディ (講談社ノベルス)

ああ、なるほど。
メフィスト賞受賞後第一長編。ウルチモ・トルッコにレザルティスト・モウディと、大半の日本人には何ら意味を成さないタイトルのつけ方に垣間見えるスノビズムが、探偵役の青年や奇矯な警部、知的障害者などのキャラクター造形をはじめとして作品全体をそこはかとなく覆っているように感じたが、ミステリとしては真相のある部分に意表を衝かれた。ある意味実も蓋も無いが、この真相の隠し方はユニークで見事だ。但し、本作に《読者への挑戦状》を挟み込んだのは勇み足だったのではないか。最大の驚きは《読者への挑戦状》で作者が求めている解答とは外れたところに位置し、この驚きの部分に気づかなくとも、作者の問いには答えられるのだ。また、犯人当てミステリとしては、問題編終了までの段階で絵画泥棒が殺害犯という可能性を完全には排除できていないのではないか。《読者への挑戦状》を挟み込むことによってミステリとしての価値を若干下げてしまったように感じられ、勿体ないと思った。ただ佳作ではあるし、前作『ウルチモ・トルッコ』より面白かったので(おそろしくステロタイプな人物造形は難だが)、次回作の趣向を楽しみにしたい。

完全恋愛

完全恋愛

完全恋愛

老大家の、ここまでの道程に思いを馳せる。
別名義で発表された作品だが、作者の正体は明らかなので、以下の文章でも正体を隠すことなく感想を書きたい。さて、本書は単独でも傑作と言って良い出来栄えだと思うが、それ以上に辻真先の総決算的作品である。20世紀末、『本格・結婚殺人事件』(朝日ソノラマ)においてポテトとスーパーのシリーズに決着をつけた辻真先は、硬軟取り混ぜたさまざまなノンシリーズの長編を発表し始める。その中で最も印象的だったのが、内容枚数ともに充実した、辻作品の最高峰と言っても過言ではない『あじあ号、吼えろ!』『進駐軍の命により』『沖縄軽便鉄道は死せず』(すべて徳間書店)の戦争鉄道冒険本格推理三部作だった。本書『完全恋愛』は、それらと同等の充実ぶりを示した大力作である。
今回は『急行エトロフ殺人事件』(講談社ノベルス)以降連綿と書き継がれてきた辻の戦争本格ミステリの総決算的作品に仕上がっているが、とりわけ『ピーター・パンの殺人』(大和書房)および『悪魔は天使である』(東京創元社)ラインの決着点と言えよう。何十年もの時の流れのあいだにいくつかの殺人事件を挟み込む雄大な構造は『ピーター・パンの殺人』に*1、戦時下における芸術家*2の苦しみと、若者たちの恋模様という構図は『悪魔は天使である』に直結する。だが『完全恋愛』は、ミステリ色が比較的淡かった(しかしそれ以上に小説として素晴らしかった)『悪魔は天使である』をさらに本格ミステリに近づけ、『ピーター・パンの殺人』とは異なるミステリ的な仕掛けを打ち出した作品なのだ。やや書き急いでいる感がないわけではないが、凶器消失、巨大な密室、鉄壁のアリバイという魅力的な謎を三つ並べ(とくにケレンに満ちた密室状況のスケールの大きさが素晴らしい)、それらに巧みに解決をつけつつ最終的には一本の小説として読ませる力量はさすが大ベテラン。ミステリ的には、アリバイ崩しに関連するある趣向に驚かされた。なんと、そんなところでそんなふうに時代背景を絡めるなんて! 結末において姿を見せる、ある「語られざる人」の趣向も見事なものだ。
昨今、力作が出てもほとんど話題にならない辻作品だけに、今回こそは話題になってもらいたいと思う。そしてこの小説を面白いと思った方には、この『完全恋愛』以前に見逃された傑作力作をぜひ手にとってもらいたいと思う。『完全恋愛』は決して、突如表れた「辻真先の新境地」ではないのだ。

*1:ちなみに『完全恋愛』に登場する大関警部は辻の隠れ(?)シリーズ・キャラクターで、おそらく彼の初登場作品は『ピーター・パンの殺人』ではなかったか。

*2:この作品においては探偵小説家。

嗅覚異常

[rakuten:book:10927411:detail]
今は懐かしき祥伝社400円文庫の一冊。
去年刊行された連作短編集『天使の歌声』(創元推理文庫)と同じ探偵役が登場する中編。頭を打ったショックで嗅覚異常に陥った女性(但し頭部に受けたショックと嗅覚異常のあいだに因果関係が存在するかどうかは定かではない)をめぐる研究者たちの思惑から起きた事件に探偵・嶺原克哉が関わる。ネタそのものはきわめてシンプルだが、シンプルだけにどんでん返しの鮮やかさが際立っていて見事。そしてそれ以上に、結末において事件の構図を一気に反転してみせる手際が抜群に上手い。「ああ、実はこのテーマの作品だったのか」と感心させられたし、きわめて現代的なテーマであって、これに切実さを感じる人も多いはず(ニュースで取り上げられているのを見たこともある)。北川歩実の作品の中でも高いレベルの部類に属するだろう。序盤の読みにくさは気になるが、どんでん返しがお好きな方には楽しんでいただけると思う。

清談 佛々堂先生

清談 佛々堂先生 (講談社文庫)

清談 佛々堂先生 (講談社文庫)

これは相当面白かった。
簡単に言えば、正体も実年齢もよく判らないが関西きっての数奇者である佛々堂先生が、これと目をかけた才能を開花させるべく彼または彼女に密かに金と労力を注ぎ込む連作。帯には「和のトリビア満載のミステリー」を書いてあり、たしかにそう読めないこともないけれど、この作品までミステリとして読むことはないと思う。
さて、連作第一話「八百比丘尼」を読み終えたときは、正直それほどの話とも思えなかったのだ。美術を描いた傑作小説は数多く、秀作と讃えるには少しばかり深みや工夫に書けるところがあり、若干物足りない。……ところが第二話「雛辻占」を読み始めて評価はがらりと変わった。冒頭、蛤の形をした辻占菓子の店を細々と営む女性のもとに佛々堂先生が現れて、大口の注文を押しつけて去ってゆく。続いて、真珠店の抽選のからくりを佛々堂先生が講釈する。さらに続いて、伸び悩む絵唐津の女性作家が登場する。――いったいどんなストーリーが描かれるのか?という興味は勿論として、ネタの選び方が多岐に亙っている上、それぞれが実に活き活きと描かれていることに驚かされたのだ。この作品から、佛々堂先生の人柄もはっきり伝わってくるようになる。あとは一気読みだった。
四編収録されているうち、ベストは第三話の「遠あかり」。佛々堂先生が目論んでいるある趣向のスケールたるや(その目的に比して)凄まじく、大袈裟なことを承知で言うが、これはほとんど奇想小説の域にまで達しているように思われた。こういう壮大なスケールの話がしっかりと描かれているからこそ、主人公たる佛々堂先生が本物の数奇者として典雅に目の前に立ち現れてくるのだ。前述のようにネタの選び方も幅広く、素晴らしい連作と言えよう。佛々堂先生が複数の人間国宝を顎でこき使えるほどの重鎮、という大風呂敷の広げぶりも楽しい。それにしても、『龍の契り』『鷲の驕り』の作家がこんな作品を書くまでに成長していたとは!*1

*1:『龍の契り』も『鷲の驕り』も面白かったけれど、若書きならではの良さと粗さがある作品だったので。

官能的

官能的――四つの狂気 (ミステリー・リーグ)

官能的――四つの狂気 (ミステリー・リーグ)

谷村からこきおろされて頭に血がのぼった助教授は、再び変態を果たしたのだ。まだ終齢幼虫にすぎなかったバッタが最後の皮を突き破って翅を持った成虫に変わったように、南には思えた。(70ページより)

いったいどんな光景が目の前で展開されたのでしょう。
それはさておき、『本格的』(原書房)中の一編に登場した変態増田米尊助教授が、遂に一冊の連作の探偵役となって登場し、相変わらずの変態ぶりを発揮しながら事件に挑んでいる。驚いたのは推理の過程で、増田助教授は興奮しながら(!)完全に的外れとしか思えない異次元推理を展開するのだが、完全にとは言えないものの、その異次元推理でもいちおう正解に辿り着いてしまうのだ。これは、推理の道筋が完璧でも結局は真実に辿り着くことができない探偵役を描いた井上夢人の『風が吹いたら桶屋がもうかる』(集英社文庫)と正反対の趣向であり、この試みには意表を衝かれた。さすが鳥飼否宇。実際に書くとなると相当大変だろうと思われる増田の異次元推理が実にさまになっているところにも感服した。ついでに、増田助教授の推理力を高めるためにいちいち彼を罵倒してやる谷村刑事も可笑しい(増田のどれだけ良き理解者なのだ)。
あと、この連作のタイトルはいずれもジョン・ディクスン・カーのパロディになっているが、しかし鳥飼否宇は本質的にカーではなくやはりチェスタトンに近い資質の持ち主なのだろう。第二話からは明らかにチェスタトンへのオマージュが感じ取れて愉快だった(あるマークの登場と真相の関連性、また殺害トリックなどの点において)。
ラストの趣向は不必要ではないかと思わなくもないのだが*1、意欲的なミステリとして好感を覚えた。『本格的』よりも普通のミステリとして楽しめるように思う。星野万太郎、五龍神田、そしてお馴染み谷村・南刑事が脇を固める点でも、ファンには読み逃せない作品。

*1:こういう趣向は最初は目新しかったものの、収録された各編が優れていればそれぞれの完成度に傷をつけてしまうし、逆に優れていなければ完成度が低いことへの言い訳に見えてしまう。

パラダイス・クローズド

パラダイス・クローズド THANATOS (講談社ノベルス)

パラダイス・クローズド THANATOS (講談社ノベルス)

第37回メフィスト賞受賞作。
本書の帯で有栖川有栖が書いているようなこと(「本格ミステリを打ち倒そうとする生意気な新人が現れた」)は微塵も思い浮かばなかった。この作品には本格ミステリへの作者の興味が渦巻いているではないか。興味が無ければこんなものは面倒だから書かないし、そもそも発想しない。きっと作者は本格ミステリが大好きで大好きで仕方がないツンデレさんなんだろうなあ。但しこのツンデレぶりはなかなか恥ずかしいと思うし、饒舌な文章もペンネーム並みに如何なものかと思う。それでも本を投げ捨てることなく読み進めたのは、探偵役をつとめる双子の片割れとお守り役の刑事が、奇矯なキャラかと思いきや案外まともなことを喋っていてそれなりに好感が持てたためだ。最初は煩わしいと感じた魚の薀蓄も途中から結構楽しくなってきて、興味が湧かない事件のほうはさっくり読み飛ばしてしまったが、えーと密室が出てきたんですよね?(うろ覚え)
というのは半分冗談だが、それにしても終盤、双子が喋り過ぎなのには閉口させられた。これを本格ミステリ批評と受け取るならば、「では今後はどうしたら良いのか」という新しいヴィジョンを作品として提示できていない点が大きなマイナスのように思われたし、それほど斬新な批判というわけでもないので面白みは感じられず、読後感はきわめて微妙。本格ミステリに愛がある読者なら、もっと楽しめるのかも知れないが、個人的にはもう少しストーリーの魅力がないと読んでいて辛い。
なお、作中に出てくるゴールディングの『蠅の王』は二回映画化されているが、1990年版は一種の美少年映画としても楽しめるような出来になっていたらしく(公開時には新潮文庫が映画のスチール帯をかけて売っていた)、双子の美少年が主人公の作品を書いたこの作者は、その映画を観ているのかも知れないな、と思った。